20番目は木賊山(とくさやま)です。
世阿弥が作ったといわれる謡曲木賊に取材し山が作られたといわれます。
謡曲木賊は、子供を人にさらわれた翁が信濃の伏屋に行き木賊を刈って暮らしていたところ、僧に連れられて父に会いたいと、故郷に帰ってきた若松が翁を尋ねるというお話。
翁が1人、鎌で木賊を刈る姿が御神体となっています。
山には木賊が立てられ生い茂る様子を表しています。
謡曲木賊にちなみ迷子避けのお守りが授与されます。
「くじ取らず」で毎年21番に巡行する放下鉾(ほうかぼこ)。
真木の天王座に放下僧(ほうげそう)を飾っているところから名前がつけられました。
放下僧は仇討ちのお話を主題とした能の演目のひとつで、禅宗の僧として登場します。
鉾頭の飾りは日、月、星の三光を表したといわれ、和菓子の州浜に似ているところから、すはま鉾とも呼ばれています。
以前は長刀鉾と同じく生稚児が乗っていましたが、昭和から三光丸という稚児人形が乗せられるように、なりました。稚児人形は3人の人形師によって、稚児踊りを披露します。
22番は岩戸山で、この山も「くじ取らず」と言われ、毎年22番目に巡行します。
「天の岩戸」と「国生み」の日本神話を取材し、ご神体は天の岩戸の神話に登場する天照大神と手力男命(たぢからおのみこと)、屋根の上には国生みの神話に登場する伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。
天の岩戸の神話は天照大神が弟スサノオノミコトの乱暴な行動にお怒りになり、大きな岩戸にお隠れになってしまい、世界は暗闇となりました。なんとか天照大神に外に出てきていただこうと八百万の神々が岩戸の前で大宴会を行ったところ、なんの騒ぎかと天照大神が岩を少し開けられた一瞬のスキを逃さず、手力男命が大きな岩戸を開き、天照大神が出現され、再び世界は光に照らされるようになったというお話です。
国生みのお話は、まだ地上に大地が出来上がっていなかった時のこと、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊邪那美尊(いざなみのみこと)が天浮橋から天沼矛(あめのぬぼこ)で海原をかき混ぜ、その時に矛からしたたり落ちた潮が固まりオノコロ島となった。この最初に生まれたオノコロ島の場所は諸説あるが、淡路島周辺の小島であったと考えられています。
岩戸山は山ですが、鉾と同じく車輪が付けられた曳山で、鉾柱の代わりに屋上には松を立てています。
7月17日の山鉾巡行ラスト23番目を毎年つとめるのは船鉾です。
身重でありながら海戦に勝利した神功皇后の逸話に由来し、軍船の形をしています。
祇園祭の後祭に巡行する大船鉾も同じ逸話に取材されていますが、前祭7月17日に巡行する船鉾は「出陣船鉾」、後祭の大船鉾は「凱旋船鉾」と通称呼ばれています。
本当にザ・船!という形をしていますが、ビニールがかかっていて分かりにくいのが残念!
ご神体は神功皇后、住吉明神、鹿島明神、龍神安曇磯良の神様がお祀りされています。
舳先には金色のゲキという鳥が羽を広げています。ゲキは想像上の生き物で、中国で水難除けに考えられた鳥です。
後祭の山鉾は撮影できていないので、これでようやく2018年の早朝に撮影した山鉾の紹介は終わりです!
昔一時期ではありますが、祇園祭の山鉾が建てられるすぐ近くの中心に住んでいたことがありますが、冬の夜でもコンコンチキチンという音色が聴こえてくることがありました。
夏に行われる祇園祭に向けて町内の方が集まって、練習していました。
もしかしたら貴方も京都の旅行中、四条烏丸辺りの細い道を歩いていたら、練習中のコンコンチキチンという音色を聴くことが出来るかもしれませんね~(^-^)/